〔今週号の表紙〕
第310号 落椿
雪井苑生
今年はわりと椿がきれいに咲いている。
「わりと」というのは近づいてみるときれいだと思っていた花にけっこう傷がついていたり、開いたばかりなのに蘂が黒くなっていたり…ということが多いからだ。完璧!と思って撮った花なのに、パソコンで見るとやはり黒ずんでいる箇所が見つかってがっかりしたり。
今年はその傷みが少ない感じで嬉しい。
落椿でも完璧に近いほどの美しさに驚かされることがある。
写真の落椿は差し込む太陽光のいたずらで、まるで発光しているような姿に惹かれた。光の移動するまでしばらくの間、かがみこんで見とれてしまった。
紫陽花は「枯れ」桜は「散り」椿は「落ちる」。椿の木は落ちたまだ美しい、夥しい花の真ん中に立っている。
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2013年3月31日日曜日
2013年3月29日金曜日
●金曜日の川柳〔金子勘九郎〕樋口由紀子

樋口由紀子
女あり人語を解し哀れなり
金子勘九郎 (かねこ・かんくろう) 1912~?
昭和13年頃の作。女性は今とは比べものにならないくらい低い地位におかれ、人権などは無きに等しかっただろう。その時代に勘九郎はこのように詠んだ。当時としては卓抜した女性観である。
「人語を解し」とは人として道理もわきまえ、理性も思念もあり、判断能力のある女性が、人間の尊厳などとはほど遠い、一人前の人として扱われていないという事実を理解しているという意味だろう。勘九郎はこの理不尽を怒って「哀れなり」と強く言い切った。勘九郎に会ってみたかった。
金子勘九郎は中村冨二と二人誌「土龍」を創刊し、当時の既存の川柳とは違う斬新な方向性を示した。「土龍」は現代川柳の一つの出発点である。『土龍』(1938年刊)収録。
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2013年3月28日木曜日
2013年3月27日水曜日
●水曜日の一句〔森川麗子〕関悦史
関悦史
花冷えの巨花となりたる都かな 森川麗子
「巨花」と聞けば、中村草田男《白鳥といふ一巨花を水に置く》を思い出さないわけにはいかないし、「都かな」という下五には三橋敏雄の《いつせいに柱の燃ゆる都かな》が潜んでいる。
句集中には他にも有名な句から言葉を拾ってイメージを膨らませたと思しい作が幾つかあるのだが、先行句を「踏まえ」たり、「挨拶」を送ったりといった間テクスト性自体が主な狙いとは見えない。
作者は先行句から割り取った破片を心の底に沈めることで、それを核とした別の珠を形作ることに関心があるのではないか。
草田男句では一応、写生のための修辞であった「巨花」が、ここでは非在の、少なくとも不可視の、SF作品に登場するドーム都市のような、あるいは全視界を圧して咲き誇るジョージア・オキーフが描く花のような、不穏なスケールをもって、花冷えの都市をイメージ化しつつ、のしかかる。
花冷えの都が己からずれ出しながら「巨花」となっていく妖気と、非現実が現実を侵食する姿でのみ、書き表すことのできる肉感的な、あるリアルさ。
それを生成させ得る場としての心身というものを感じさせる句。
句集『白日』(2013.1 青磁社)所収。
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2013年3月26日火曜日
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