第220号 お化け屋敷
山田露結
おやのないこは
しんしんさびしい。
ポッケにゃ地球
カチンとさみし。
お代はみてのおかえりです。
ぼーや。
じょうや。
おはいんなさい。
(「少年あります。鈴木翁二童話店」鈴木翁二著/シマモトケイ インナープロジェクト)
子供の頃、地元の神社で行われる夏祭の夜店で毎年一番楽しみにしていたのが「見世物小屋」と「お化け屋敷」だった。「見世物小屋」と「お化け屋敷」はいつも神社の敷地の一番奥に並んで建っていた。
当時から「見世物小屋」も「お化け屋敷」もインチキ臭くてずいぶんお粗末なものだと子供心に感じていた。「見世物小屋」の「蛇女」も「牛娘」もつくりものだったし、「お化け屋敷」も仕掛けがバレバレでちっとも怖くなかった。
でもそのときはきっとそのインチキ臭さに何とも言えない魅力を感じていたのだと思う。親にお小遣いをもらうと友達を誘って真っ先に「見世物小屋」と「お化け屋敷」へ走って行ったものだった。
今年3月、6歳と2歳の息子たちを連れて岡崎城公園(愛知県岡崎市)へ花見に出かけた。震災直後の自粛ムードの中、どことなく後ろめたさを感じながらのお出かけであった。
公園から土手を下ると岡崎市内を流れる乙川の河川敷いっぱいに、所狭しと露店が並んでいた。平日の昼間だがけっこうな人出だった。
わた飴、金魚掬い、射的...。こういう風景だけは昔とちっとも変わっていない気がする。好きな場所である。
露天商を冷やかしながら河川敷の広場の外れまで来るとそこには「お化け屋敷」が建っていた。私の記憶では、それは私が子供の頃に夏祭で見たものとまったく同じ、あの「お化け屋敷」だった。
私はその「お化け屋敷」を見た途端、身震いがするほどのノスタルジアにおそわれ、まるで吸い寄せられるように子供たちの手を引いて「お化け屋敷」の中へと入って行ったのである。
入口で突然門の扉が開いて生首が出でくる仕掛け(入口のおじちゃんが操作しているのがバレバレ)も、血を流した落武者の人形が倒れている箇所を過ぎたところで白い布をかぶった男が「わーっ」と飛び出してくるのも、何もかも感激するほど昔のままだった。
そして、やはりちっとも怖くなかったのである。子供たちも怖がるというよりはびっくりしながらはしゃいでいた。
怖くないお化け屋敷の中を歩きながら、私は子供の頃に見た情景が目の前で実景となってフラッシュバックしているようで、たまらない気持ちになってしまった。
ほんの短い時間だったけど、子供たちと一緒に我が「あの頃」へとタイムスリップさせてくれた「お化け屋敷」に感謝、感謝なのである。
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