〔中嶋憲武まつり・第22日〕
4B
中嶋憲武
仕事なので、いつも通り6時に起きる。
左腕が義手のように硬く強張っている。
寝違えたかな。いや、思い出した。
そういえばゆうべ飯を食ったあと、うたた寝をしていたら肩口のところから一本の鉛筆になってしまったのだった。
ちょうど中指の先に当たる位置のところはまっ黒な芯になっていて、鋭く尖っている。暗澹とした気持ちになる。おまけに外は雨が降っているらしい。
今朝食べようと思って、昨日の夕方パンとピーナツクリーム、バナナ、ヨーグルトを買っておいたのだが、どうにも食べる気になれない。
しげしげと左腕をみると、暗緑色のてかてか光る六角形の木の棒が、ずどーんと伸びている。うっすらと木の香りもする。くんくんと嗅いでみる。いい香りだ。春だ、という気分になる。鋭く尖った芯のほうから、黒鉛の香りもするようだ。紛れもなく鉛筆だ。
肘が無くなってしまったので、すこぶる難儀だ。服の袖を通すことが出来ない。上腕から眺め回すと、白い字で「GENERALWRITING」と書かれてあり、肩のあたりに「4B」と書かれてあった。
「俺は4Bか」と、ぼんやり思った。
最近ずっと、絵を描いていないので、きっと絵の神様のバチが当たって、左腕が鉛筆になってしまったのかなと思ったけれど、なんで?どうして俺が?
なんとか右腕で上着を引っ掛けて外へ出た。
腕を通していない左袖は、風に吹かれてぷらぷらしている。右手は傘を持っているので、バランスが悪い。人間は歩くとき腕を振らずに、歩くことが出来ないように出来ているらしい。左腕を振り子のようにして、中指を立てて歩いている感覚がある。
電車の中では、座ると左腕の置きどころが無いので、立っていることにした。土曜日の朝なので、JR山の手線は、比較的空いていて、俺の腕をじろじろと見る人もいない。
勤め先に着くと、恋人のヒロミコがデスクに座っていた。
なんとなく沈んだ様子だったので、近づいて行って「おはよう」と声をかけると、ヒロミコは赤墨色の瞳をあげて俺をみると、
「今朝から2Hになったの」と意味不明なことを言いやがるので、まさかと思って、「そんなら、俺は4Bだ」と言うと、ヒロミコはにっこりとして、羽織っていた紺のスーツの上着を取ると、俺のほうに左腕を差し出した。
ヒロミコの左腕も鉛筆だった。ペパーミント色の地に三角形のコーリン鉛筆のマークが入っていて、肩口のあたりに「2H」と書かれていた。
俺も左腕を見せた。ヒロミコは、
「まあ、本当に4Bね。あなたって、やわらかいのね」と言って笑った。
恋人にやわらかいと笑われた俺は、俺だって、いつだってやわらかいわけじゃない。硬いときだってあるんだ。と、叫んでやりたかったが、フェミニストを気取っている俺は、ぐっと堪えて「君はおカタイんだね」と、誰が活けてくれたのか卓の花瓶のヘリオトロープを見やりながら言った。
言ったあとで、甘い香りがほんのすこしした。
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2009年5月8日金曜日
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