殿山泰司がやたら心にしみてくる夜
さいばら天気
新シリーズ「ネット拾読」の第2回です。繰り返しますが、タイトルに意味はありません。
まずは身近な話題から。句会の話です。
でも、個人的に結構凹んだことがあって(点が入らなかったことよりも)、選(評価)が句会全体と自分で大きく食い違うという経験は、誰にもある。これを、どう解するべきか。ごく普通の退屈なことを言えば、先生のような存在の人がいるなら、その人の選と自分の選を見比べればよい(結社の句会はこれが基本なのだろう)。そうした人がいない互選句会でも、自分で「目利き」と決めた人の選を参考にするなど方策はある。ま、このあたりの処置法は人それぞれだろう。
それは選が人とほとんど被っていないこと! 高点句を書き留めてもいなかったし。
●仮名句会5月 2009-05-16 from wwwqpwww
http://ameblo.jp/wwwqpwww/entry-10262437554.html
いずれにしても、あまりに自分の選が浮くようなら、そこには2通りの事情があると思っていい。ひとつは、自分の選がまずい、というか違う方向という事情、もうひとつは他の人の選が違う方向という事情。シンプル。
他の人たちと似通った選をする必要はないが、いつもいつも遠く隔たっているようなら、それは「人それぞれ」というのではなく、句座の不幸(自分にとって幸福な句座ではない/句座にとって幸福な自分ではない)と解することができそう。
しかしながら、そんな悩みっぽいこともあるから楽しいという面もあります。句会とは、ほんと、うまいこと考えられたゲームですね。
* * *
5月13日、東京・神田一ツ橋の学士会館で催された現代歌人協会の公開講座「モダン vs ポストモダン/時代はどう超えられるか」についての記事。
短歌における自分のポストモダン観は単純なものだ。明治以後、短歌否定論が何回か繰り返された。否定されたその内容は、近代の社会や近代人の複雑化した思想を表現するのに、文語や定型の短歌には限界があるということ、つまり、短歌はモダンではないということである。否定論のたびに、新しい短歌の表現が模索された。最後の否定論は、戦後の第二芸術論で、これに応えたのが前衛短歌である。以後、この種の否定論は出ていないので、暫定的に、前衛短歌の時点で短歌のモダン化が完了したと考える。一方、ポストモダンとは、長期間にわたってモダン化した短歌から逸脱しようとする意識、あるいは実際に逸脱した表現だと考える。一九八〇年代の女歌やライトバースは、たぶんこれに該当するだろうし、一九九〇年代のニューウェーブについても、自身が渦中にいたので客観的な判断はできないが、やはりポストモダンの範疇に入るものだと思う。コンパクトかつ明快な解説。門外漢にもざっくりとは理解できた気になる。
●2009年5月13日(水)2009-05-13 from ogiwara.com
http://ogihara.cocolog-nifty.com/biscuit/2009/05/2009513-6c35.html
一方、俳句側からの講座見聞録はこちら。
(…)「里」2009年4月号(だっけ?)に、上田信治さんが、坪内さんの「三月の甘納豆のうふふふふ」をポストモダン的だと言っていたのを思い出す。そして、ポストモダンは、過去のある時期の潮流だった、とも。ブログ書き手の神野紗希氏が参照した上田信治氏の一文(成分表)では、ポストモダンを一過性の文化流行と捉えている。
だから、きっとポストモダンの後続世代というのは、ぜったいにあるのだ。
●で、ポスモって何? 2009-05-13 from 鯨と海星
http://saki5864.blog.drecom.jp/archive/412
ポストモダンという言葉があった。あれは1980年代だから「ひょうきん族」とか浅田彰の時代だ。好んで使われたのは「大きな物語の終焉」というフレーズで、ものごとの良し悪しを一元的に判断できる価値基準はもう無いのだ、というような話だった。(『里』2009年4月号・通巻73号)思い出せば、たしかに1980年代前半に湧き起こり、80年代後半には早くも廃れ始めた短い文化流行と捉えられなくもないが、ポストモダンというカタカナ語がさかんにマスコミの話題にのぼったという狭くて卑近な面ばかりでなく、構造主義や文化相対主義といった文化人類学ほかによる学問成果を背景にした概念としての「ポストモダン」にも、不案内なりに一瞥をくれるなら、「ああ、そういうの、あったよね」といったノリではなく、少し正面から考えてもいい問題だと、私自身は思っている。
なんてことを言うと、「しちめんどくさい」と煙たがられて、その雰囲気こそが、ポストモダンを一時の文化流行として消費してしまった80年代と、それ以降の心性なわけで、それはそれと承知のうえで、いや、しかし、「大きな物語」もその「終焉」も、実はそれほど軽い話題ではないのですよ、と、ちょっと真顔で言ってみたくなる。
例えば「ポスト・ポストモダン」といった代物が、言葉の遊びならともかく、実体をともなって、となると、それほど気軽に登場するものでもないだろう、と踏んでいるのだが、それはそれとしても、前掲ブログ記事中で「ポストモダンの後続世代」という言い方には、「ポストモダンって世代なのか?」と、しょうじき吃驚してしまう部分がある。とはいえ、これも、ポストモダンが80年代の流行語に過ぎないなら、世代と捉える考え方もありうるのだろう。
けれども、神野氏が「新しい物語の構築への意図がある」として挙げた…
「水菜買いにきた」
三時間高速を飛ばしてこのへやに
みずな
かいに。 今橋愛
…ほかがいずれも、それこそきわめて「ポストモダン的」(文芸脈絡でのポストモダン的)であるように思える。ただし、このあたりは難しく微妙。
で、話が空中分解する前に(もう、してる?)、俳句はどーなの?というほうへ。
小野裕三氏の記事に、ちょうどいいのがあった。
本当は八十年代か九十年代に「前衛運動」を乗り越えるものとしての「ポストモダン俳句」運動があってしかるべきだったのだ。それが起きなかったために、「新傾向」「新興俳句」「前衛俳句」と続いてきた俳句革新運動が「一回休み」のような状況になった。そのことが、今「前衛」という言葉を巡って起きている混乱の根本にある。俳句の世界にポストモダンは訪れなかった、というわけだ。別の歴史認識ももちろんあるだろうが、私自身は、小野氏の言うとおりなのだろうな、と思っている。
●仁平勝『俳句の射程』 2009/05/14
from ono-deluxeの空間
http://www.kanshin.com/diary/1816326
ここから思い切って言うなら、短歌や俳句がそれまで纏い、依拠してきた「大きな物語」とは「詩」ではないかと考える。「それまでの詩」と呼んでもいい。詩が終わったあとの短歌・俳句、それまでの詩が終わり、新しい詩のなかに置かれるべき短歌・俳句。
短歌では、ひとつには短歌の外部に在ったことばと気分(多くはサブカルチャー的な脈絡にあることばと気分)を取り込むことで、伝統/前衛というモダン=それまでの詩とは違うポストモダン的な作品群が登場した。詩語の編成が一変した、言い換えれば、それまでの詩語が一掃されたのだと思う。
一方、俳句にポストモダンは訪れなかった(上田信治氏に添うなら「三月の甘納豆のうふふふふ」を除いては)。それは何故か。わからないが、憶測すれば、アルチザン(伝統派)とアーティスト(前衛派)双方が、「大きな物語=詩」という牙城を守りきり、今もその状態のままなのだ、ということかもしれない。
ポストモダンという、ややこしいことを、やめておけばいいのに書き始めてしまったものだから、無用に記事が長くなってしまった。反省。
いや、私だって、ふだんは距離を置く話題なのです。ポストモダンについて議論が熱くなってきたら、あるいは、なんだかちゃらちゃらと知的っぽい話が始まったら、
新築のポストがモダン南風
…などと一句捻り、隣から「いや、そうじゃなくって」とツッコんでもらうほうが、よほど趣味に合っているのですが、いちおう「拾い読み」という記事を書かねば、ということで。
はい。読者の皆様に置かれましては、読み捨て、で、お願いいたします。
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俳句とは無縁のブログにも触れます。
●永江朗と松岡正剛の「明日の出版」 2009-05-23
from 編集集団140Bブログ
http://www.140b.jp/blog/2009/05/post_397.html
出版事情というよりメディア事情。
まず永江朗「若者と書店 置き去りの末」(朝日新聞2009年5月21日夕刊)からの引用。
たとえばいま、学生たちのあいだではフリーペーパーづくりが盛んである。(中略)書き手・作り手の側に立ちたい者ばかりのカラオケ化かと思いきや、読む方も熱心だ。彼らは同世代が何を考えているのかに強い関心を持っている。私がいま20歳の学生だったら、フリーペーパーとインターネットと携帯電話があればそれで充分だと思うだろう。新聞・雑誌が読まれなくなった、というとき、入れ物としてのメディアの側面に議論の重点を置きすぎるきらいがある。人が読んでいる/読みたいのは、新聞・雑誌という「かたち」ではなく、内容(コンテンツ)である、という当然の事情。
先月、早稲田の永江研究室にお邪魔した際に、彼がこんなことを語ってくれた。興味深い事実です。
「大学2年の35人に、免許持ってる人は?って訊いたんです。するとねぇ、手を挙げた人はたったの2人。新聞購読率は3分の1ぐらいだったかな。免許より多い? でもマスコミを専攻している学生ですよねぇ……で、もっとスゴいのはドラマ見ている子が1人しかいなかったこと」
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この「ネット拾読」は毎週日曜日・掲載予定。書き手は変わるかもしれませんが、せいぜい続けたいと考えています(深夜枠=ウラハイからゴールデンタイム=本誌・週刊俳句への昇格も、長い目で目論んでいたりしますが、その一方で、打ち切りとなり個人ブログに撤退という事態にも、心の準備はできています)。
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