〔中嶋憲武まつり・第24日〕
小池さんのラーメン
中嶋憲武
南千住で降りる。改札を出るとすぐに、歩道橋の大きな丸い柱。ちょうど、昼時でどこかで飯を食おうとあたりを見回したが、駅前には何もない。大通りにも車は少なく、それらしい建物が見えないので、ちょっと行ったところの横町を曲がる。布団屋、総菜屋などの店が並び、そば屋があったが、店構えが気乗りのしない店で、ちょっとパス。もうちょっと探してみようと歩く。
前方に見知った人影が歩いている。ジュールとマリーだ。100メートルほど離れていたが、忽ち追い付いて、こんにちはというと、ジュールが、そば屋がないんだよといった。ぼくがさっきのそば屋、入る気がしなかったというと、ジュールも俺もだといって笑った。
結局、三人でもと来た道を引き返す。さっきパスしたそば屋はかけそば280円という貼り紙が出ていたので、値段に惹かれてその店に決める。マリーが戸を恐る恐る開け、出て来たおじさんに、そば、ありますか、やってますかと聞くと、おじさんは、そばはやってないといったので、戸を閉める。
そば屋の前から、もと来た道を5メートルほど引き返し、人がわりと入ってる中華屋のなかを覗く。マリーが、オムライスとかカレーもあるよ、といい、ジュールもここにしようかというので、中華に入ることにする。店のなかには、近所のご老人の常連と思われる人がカウンターに5、6人、奥にご婦人がひとりいる。棚の上にテレビが点いていて、カウンターの上にサトウハチローの色紙が貼ってあり、テレビの横の棚に、中華街で買ってきたと思われるこじんまりとした中華ふうの装飾品が「うちは中華料理屋です」と申し訳のようにぶらさがっている、そんな店だ。
マリーはオムライス、ジュールはたんめん、ぼくは半チャンラーメンを頼んだ。
三人で上を向いて、テレビをぼうっと見る。注文した品はなかなか出て来ない。厨房のなかは、グッチ祐三が老けたような親爺さんがひとり。ジュールが、問わず語りにこんな話をする。中華に入って、餃子とビールを注文すると、ビールがすぐに出てくる。ビールを飲んでいると、餃子がなかなか出てこない。餃子が出てきたころにはビールが空になっていて、もう一本注文することになる。そこで、つぎに入ったときには餃子を先に注文してみたら、餃子がなかなか出てこない。店の親爺と我慢比べのように牽制しあって、根負けしてビールを注文する。そしてビールを飲み終わったころ、やっと餃子が出てくるので、もう一本ビールを注文する。いずれにしろ、餃子とビールを注文したときは、ビールを二本飲むような仕掛けになっているのだと。そんなものですかねえと笑っていると、料理が出てくる。
マリーがオムライスをひとくち食べて、なつかしい味といった。オムライスは見ためはフヨウハイのような卵のかんじである。中身のチキンライスもすこしはみ出ている。ケチャップは、まんなかのあたりで、一文字に横切っている。ケチャップの横切っている春の昼ってかんじで。マリーにひとくちもらう。タマネギや肉がかなり大きく切られているが、なるほど、悪くない。むかしどこかで食べたような味である。
ぼくの頼んだ半チャンラーメンも悪くはなかった。ラーメンのスープは醤油味で濃いめ。四角く刈り込まれたチャーシューと四角く切られた海苔、ほうれん草と葱がちょいちょいと乗っかって、ナルトが一枚。それぞれの具が、浸食せず、すこし隙間があるくらいの距離感のたたずまいを見せている。この隙間のかんじはなんだか懐かしい。むかしオバケのQ太郎で小池さんが食べていた、あのラーメンのたたずまいではないか。面はやわらかめでややちぢれている。小池さんがラーメンを食べているのを見ると、不思議とラーメンが食べたくなったものだ。小池さんのラーメンにはとくに具は入っていないように、記憶しているが、このすかすかな感じが、まさに小池さんのラーメンだと、ほぼ確信して啜る。
三人で店を出て、もう一度店をふりかえる。
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2009年5月10日日曜日
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