2009年5月5日火曜日

●中嶋憲武 サマーランドまで 後篇

〔中嶋憲武まつり・第19日〕
サマーランドまで 後篇

中嶋憲武



左側に東京サマーランドの観覧車が見えてきた。あそこでお茶でも飲もうと話しながら、歩く。

滝山街道を越えて歩いていると、サマーランドは向こう岸だ。行く手に橋らしきものは見えない。仕方がないので、堰のテトラポッドを伝って行こうかと話す。

河原まで降りて、テトラポッドの配置を見ていると、なんなく渡れそうな気もする。でもテトラポッドの丸っこい三角錐の離れ具合が、微妙な距離で、小さなテトラポッドの上に立つと、バランスも悪く、次のテトラポッドへ渡るには、勢いをつけて義経の八艘飛びのような芸当でもしない限り、渡れないということが判明した。

堰の放水路は3つあって、2メートルくらいずつ離れている。堰を渡るにしても、放水路のところを立ち幅跳びの要領で飛んでも、次の放水路の仕切りの幅が狭く、前へつんのめって川に落ちるということも充分考えられる。正面の山に日が沈んだ。

川を渡るのは諦めて滝山街道まで戻り、橋を渡った。はじめからこうすれば良かったのだ。橋を渡ると、道に山が迫っていて、急に空気がひんやりとして来た。深山のあの独特の香りもする。橋を渡っただけでこうも空気が変るものか。

だらだら坂を登り、サマーランドに着くと、営業時間は終っていた。サマーランド経由のバスを待つことにし、ベンチに座る。日が暮れてしまって、あたりは薄暗くなりはじめていたので、山の冷気も手伝ってすこし心細い。山の冷気は土の冷たさなのだろうか。

最終便のバスに、友人とぼく、女の子の二人連れが乗った。バスは低い山の暗闇のなかを走った。途中から乗ってきた少年が、途中の停留所で降りた。こんなところに民家があるのだろうかというような場所である。少年はぬらりひょんとかべとべとさんだったのかもしれない。

うとうとして目が覚めると、八王子の市街地を走っているようである。駅が見えてきた。

バスを降り、どこで何を食べようか迷った挙句、一番最初に目に付いていたとんかつ屋に入った。とんかつは肉がやや堅かったけれど、まあまあで、量も申し分のないものだった。それに安い。ロース定食700円でございます。
ぼくはロース定食、友人はミックス定食を食べた。

とんかつ屋を出ると、コーヒーが飲みたくなり、スターバックスへ入った。向かいの「そごう」の赤い電器の文字が消えるまでいて、京王八王子駅から京王線に乗った。耳の中ではまだ鷽の鳴き声がしていた。

(了)


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2009年5月4日月曜日

●中嶋憲武 サマーランドまで 前篇

〔中嶋憲武まつり・第18日〕
サマーランドまで 前篇

中嶋憲武



ある夜、「体力強化月間」という件名のメールが届いた。友人からだった。散歩のお誘いだった。

国分寺駅に待ち合わせて、西武国分寺線に乗り、ふたつめの「鷹の台」駅で降りる。ちょうど昼どきなので、目に付いた中華食堂へ入る。つまらないバラエティー番組をやっていた。向かい合って黙々と定食を食べる。

食堂を出て、玉川上水に沿って歩き出す。日がきらきらとして、風も心地いい。この時期の空気は風合いがよい。この間歩いたときの終点だった「玉川上水」駅を通過する。柏町、砂川町、上砂町、一番町と歩く。喉が乾く日だ。いくら歩いてもコンビニエンスストアーの類いが皆目無く、白茶けた日が注ぐ。大きな通りにぶつかり、やっと店を見つけミネラルウォーターを買って飲む。この辺はとても田舎でゴルフコースなどもある。

「ゴルフ、やったことある?」と友人に聞く。
「あるよ。なにが楽しいのかわからんね」

拝島の駅を過ぎて、国道16号線にぶつかったところで玉川上水と別れ、左に折れる。多摩川の支流がいくつもに分かれ、秋川に沿って進む。「マムシに注意」という立て札が目に付く。よほど、マムシが出没するのであろう。心中、密かに草むらから這い出しては来ないかと期待する気持ちもあったのであるが、マムシは出なかった。マムシは出なかったが、轟音がしてジェット機が飛んだ。

「ジェット最終便だね」と、ぼく。
「朱里エイコか」と、友人。

秋川は蛇行しながらのんびりと流れている。川の向こうはなだらかな丘陵で、道もだいぶ草深くなっている。モーテルなども見える。日も傾いてきて、一人ではとてもこんなところは歩けないだろう。いろいろな鳥の声がする。鶯がすぐ近くで鳴いていて、その姿も見えた。口笛のように聞こえるのは、あれは鷽だろうか。

友人は、i-podにスピーカーをつけているので、音楽を聞きながら歩いていた。ミニー・リパートンの「ラヴィン・ユー」がかかった。

「SEがなくても、自然の鳥の声で充分だね」
「そうだね」

友人は突然、スイッチを切ったのでどうしたのかと思ったら、道の先に望遠レンズを構えている人がいたのだ。近づいていくと、そのカメラマンは「雉子がいるんですよ」と言った。見ると、たしかに草むらを雉子が歩いていた。悠然と歩いている。やがて草のなかに入ってしまって、見えなくなった。

(明日に続く)


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2009年5月3日日曜日

●中嶋憲武 宇宙人襲来 シーズン2

〔中嶋憲武まつり・第17日〕
宇宙人襲来 シーズン2

中嶋憲武

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太田うさぎ 宇宙人襲来 シーズン1

2009年5月2日土曜日

●中嶋憲武 昭和五十六年のカケフ 下

〔中嶋憲武まつり・第16日〕
昭和五十六年のカケフ 下

中嶋憲武


ぼくは、「いいよ。いつにする」と聞き返した。サカノはちょっと考えて、冬休みに入ったらかな」と「北の家族」の赤い灯を見ながら言った。サカノはすでに就職を決めているらしく、冬休みといっても受験勉強の必要がないのであった。こいつ、本当にぼくの家に来るつもりなのかなと考えていると、向こう側に準急が来た。準急のドアが開いて白い蛍光灯の光のなかから、たくさんの着膨れた人々が降りて、この各停にどっと乗り込んで来た。席を詰めるためにサカノは、ぼくにぴったりと肩を寄せた。一気ににぎやかになった電車のなかで、ぼくとサカノは顔を見合わせて微笑んだ。

クリスマスまであと一週間と年の瀬も押し詰まり、大学ではぼちぼち期前試験が始まっていた。フランス語の試験を終えたぼくたちは、学内の喫茶室でお茶を飲んでいた。「カケフが藤田平と一緒にベストナインに選ばれとるやん。こいつ、打席に入ると自分のバットを必ず見るだろ?」とニッカンスポーツを読んでいたイデが言った。阪神のカケフは4番に定着し、われらがエガワと幾多の名勝負を繰り広げていた。確かにカケフは、打席に入ると一回自分のバットを拝むようにして見上げる。「来年もエガワ、20勝するかな?」と、神戸生まれの神戸育ちにも関わらず、巨人ファンのイデがぽつりと言った。ぼくはエガワの来年の20勝よりも、今夜のササモトさんとのデートの方が気になっていた。

ササモトさんとその彼とは、いまだに全く切れてはいないらしいが、かと言って逢ってもいないようだった。ぼくは、ササモトさんにとって復縁までの彼の代用品であることは、うすうす分かってはいたけれど、頻繁にササモトさんの家に行ったり、逢ったりしているうちにササモトさんの態度にいらいらするようになっていた。ササモトさんの態度?いや、ササモトさんに対する自分の態度に、であろう。ササモトさんを好きになったとは自覚していなかったのだけれど、第三者からみればありありと分かった筈だ。この半年という期間は長過ぎた。半年前の梅雨のある夜、沼袋の駅で降りて、ふたりでベンチでライオンズジュースを飲んだ。そのときからぼくは多分ササモトさんを好きだったのだ。蹉跌となる前に一度、その事をじっくり考えてみるべきだったのだ。ササモトさんの本当の気持ちというものとともに。

サカノは、ウチに遊びに来る気はないようだった。「今度、お邪魔するね」と口では言うものの、具体的なその段取りとなると、いつの間にか鳥は飛んで行ってしまうのだ。女子高生の気まぐれという奴だったのであろう。アルバイトの帰りに混んだ電車のなかで、座ることが出来ず、春日部まで立って帰ったその夜、映画に誘ってみた。サカノはとても喜んだ。20日から冬休みだから、その第一日めにということで、銀座に封切られたばかりの「レイダース」を観に行くことになった。

約束のその日、朝から雪が降りそうな寒い日で、おまけに劇場はとても混雑していた。最初は調子よく画面に見入っていたのであるが、寒くて朝からコーヒーを飲み過ぎたせいか、トイレが近くなっていた。後半のラスト近くなって、画面を観ていることさえ辛くなってきた。「おしっこがしたい」という欲望が強くしゃしゃり出て来て、ついに我慢の限界を超え、「ちょっとトイレに行ってくる」とサカノに囁くと、人をかき分け通路に出、非常口から廊下に出た。廊下もトイレも、いまのように完全入れ替え制ではない時代だったので、次の回を待つ人でごった返していた。いらいらとトイレで並び、用を済ませて席へ戻ると映画は終っていて、マーチ風のテーマ音楽が流れ、スタッフのクレジットがロールアップしているところだった。サカノはいいところでひとりにされたので、とても不機嫌になっていてろくすっぽ返事をして貰えなかった。映画館を出て、お茶でも、と言うと、これから友だちと待ち合わせてるから、ここで、と言う。マリオンの前でサカノと仕方なく別れた。サカノの後ろ姿を悄然と見送って、有楽町をすこし歩いて、コリドー街の古い喫茶店に入った。

サカノは、一緒に映画を観て以来、アルバイトにも顔を出さなくなり、ひとりで帰る日々が続いた。店長に何気なくサカノのことを尋ねると、卒業や就職のことで忙しく、アルバイトも辞めるかもしれないと言ってきたということだった。

店は大晦日に近づくにつれ、忙しさの度合いが増した。アルバイトが終るとどっと疲れてしまって、まっすぐ家に帰るようになった。ササモトさんもこの頃、アルバイトに顔を出さない。今夜、電話をしてみようと思った。

(了)

2009年5月1日金曜日

●中嶋憲武 昭和五十六年のカケフ 上

〔中嶋憲武まつり・第15日〕
昭和五十六年のカケフ 上

中嶋憲武


その当時ぼくは授業が終ると、真っ直ぐにアルバイト先へ行くのが日課のようになっていた。ほとんど毎日アルバイトを入れていたし、休日ともなると開店から閉店まで12時間、アルバイトを入れた。そのような入りかたは「通し」と呼ばれ、アルバイトの仲間からは、畏怖とも尊敬ともいえるようなまなざしを送られた。無論、ぼくの他にも「通し」をする者はいて、ある者は5日連続を敢行し、これはアルバイト仲間の伝説となった。

ぼくのアルバイト先は、銀座にある飲茶の店で、点心類をワゴンに載せ、ゆっくりと店内を廻って売り歩くのがセールスポイントとなっていた。デリカテッセン、海鮮、焼き物、鹹点心、甜点心とワゴンは全部で5台あった。デリカテッセンのワゴンは、蒸し鶏や鴨のロースト、ピータン、バラ肉などの皿が載り、海鮮のワゴンは、シジミを醤油で煮たもの、烏賊のボイル、海老のボイルなどの皿が載り、焼き物のワゴンは、注文を受けてからワゴンの上の鉄板で大根餅、湯葉などを焼いて出し、鹹点心のワゴンは、焼売、肉饅、包子、春巻きなどの蒸篭が載り、甜点心のワゴンは、月餅、マーラーカオ、薩奇馬、杏仁豆腐などのデザート類が載った。

アルバイトの仲間たちは、それぞれ相性のいいワゴンというものがあり、海鮮ばかり廻す者、焼き物ばかり廻す者、デリカばかり廻す者と暗黙のうちに廻すワゴンが決まっていた。ぼくは、おもにデリカのワゴンを廻し、ときどき焼き物のワゴンを廻した。焼き物のワゴンは、高橋国光を崇拝するキタさんが主に廻していたのだが、キタさんが休みのときや、パントリーに入っているときは、ぼくが廻していた。キタさんは休日はもっぱらツーリングに行くという大のバイク好きで、店がヒマなとき、焼き物のワゴンがカーブに差し掛かると、リーンインの体勢を真似て、「ばばばば、ぎゅいーん」などと言いながらコーナーを廻って、デリカのワゴンのぼくを見返ってにやりとしたりした。

ぼくのうしろに海鮮のワゴンを廻しているササモトさんが続いた。ササモトさんはぼくより2つ下で、新宿にあるキーボードの専門学校に通っていた。彼とあまりうまく行っていないようで、なにかと相談に乗ったりしているうち、ふたりで会うようになり、半年前ササモトさんの家へ上がってしまってから、ササモトさんの妹の留守(ササモトさんは妹と二人暮らしをしていた)のときはササモトさんの家へ行くようになっていた。

ササモトさんは、カチューシャの前髪を気にするしぐさをした。ぼくは、あごを触った。これはふたりだけのサインで、前髪を気にするしぐさは「今夜、ウチに来ない?」と言っているのであり、あごを触るのは、「いいよ」と言っているのである。「今日はだめだな」と言うときは、鼻をこするのである。そのようなやりとりを、ササモトさんのうしろにいるデザートのワゴンを廻すサカノが見ていた。サカノは大きな悪戯っぽい目でぼくを見ていた。ぼくは、悟られたわけでもないのに、どぎまぎとした。蒸し鶏に添えるシャンツァイを長い象牙の箸で、意味もなく掻き回した。

サカノは、ぼくと同じく春日部に住む春日部女子高の3年生だった。目が大きく、色が浅黒く、ちょっとエキゾチックな顔立ちをしていた。アルバイトが一緒に終るときは、サカノとぼくは春日部駅まで一緒に帰った。サカノと肩を並べて東武電車に座り、せんげん台駅で準急待ちをしているとき、「準急が来るから乗り換えようか」とサカノに言うと、「疲れちゃったから座っていこうよ」と言った。準急が来るまで、開きっぱなしのドアから見える真っ暗な風景を見ていた。暗闇に「北の家族」の赤い灯が寒そうに瞬いていた。サカノは出し抜けに「こんど、家に遊びに行ってもいい?」と言った。

(明日に続く)