2/6木曜 に思いついて書いたこと、今週書いたもの
宮﨑玲奈・宮﨑莉々香
①
ダメな日もいい日もある。
●
ダメな日もいい日もある。
●
最近夢をよく見る。毎日見ている。もともと、そんなに見る方ではなかったので、毎日見ているということに、自分でもびっくりしているくらいだ。今日はアメリカンダイナーみたいなところで、フィッシュアンドチップスをコーラ片手に、ダラダラ食べていた。
●
なんとなく今日はなにも書いてない気になって、いそいそとタイピングをしている。
こういう時のために、このノートはあるんじゃないか、っても、ちょっと、思う。
小学校の頃よく書いた自由帳みたいな感じ。わたしの自由帳にはやたら目がでかくて、服装に細かいデイティールが施されたオリキャラがピースをしてよく現れていた。
②
電車にて
B え、
A いや、
B え、
A いや、
B え、
A え、だから、、空いてるじゃん、
B ……ああ、
A なんで立ってんのかなーって、
B ああ、、、
A だって、座ればよくない?
空いてんだし。ほら、
B まあ、
A 誰も、座ってないじゃん、ここ。
B うん、
A ね、
B まぁ、、、
A うん、
●
A え、
B ん?
A え、
B うん、
A え、だって長いじゃん、
B ああ、
A 目的地まで、
B うん、
A え、
B うん、
A え、どうして、
B いや、
A 座ればよくない?
B いや、、、
A え、いや、なんかあったの?
B いや、
A うん、
B そういう訳じゃないけど、
A うん、
B ん、
A え、
B やめなって、
A え、なんなの、この電車、
B これ(つり革をAに渡す)
A はぁ?
B だから、ん、
A なんで立ってんの、A、椅子に座っている。
B、つり革を持って立っている。
B え、
A いや、
B え、
A いや、
B え、
A え、だから、、空いてるじゃん、
B ……ああ、
A なんで立ってんのかなーって、
B ああ、、、
A だって、座ればよくない?
空いてんだし。ほら、
B まあ、
A 誰も、座ってないじゃん、ここ。
B うん、
A ね、
B まぁ、、、
A うん、
●
A え、
B ん?
A え、
B うん、
A え、だって長いじゃん、
B ああ、
A 目的地まで、
B うん、
A え、
B うん、
A え、どうして、
B いや、
A 座ればよくない?
B いや、、、
A え、いや、なんかあったの?
B いや、
A うん、
B そういう訳じゃないけど、
A うん、
A え、C、来る。つり革を持って、立っている。
B ん、
A え、
B やめなって、
A え、なんなの、この電車、
B これ(つり革をAに渡す)
A はぁ?
B だから、ん、
A、つり革を持って立っている。
C 旅行、、とか、
A はい、一応、
C へー、
A まぁ、、、
B なに、
A んんん、なんもない。
③
風邪の窓ちょいあかるさの紹興酒
④
お腹の中にゼリーがたまる四時頃でなんもできない甘かった桃
⑤
アッバス・キアロスタミの『トスカーナの贋作』を観た。近所のTSUTAYAで借りてきたやつ。1月半ばに『つかの間の道』という演劇作品を上演したのだけれど、この映画のことを思い出したという指摘がアフタートークの中であった。
その数日後に、駒場アゴラ劇場で上演していたロロ『四角い2つのさみしい窓』を観た。脚本も、舞台美術も、ツアーとして行われる作品だということも、繋がりが見られて、なんだか、すばらしくて、感動した。フィクション、お話、童話的なラインをどう作るか、みたいなことを考えらされた。
どちらも「ふりをする」「本当になる」「にせもの」ということに関しての話だと自分の中では認識しているのだけれど、どうなんだろう。
●
物事には確かさのようなもの、なんてなくて、世界自体が流動的で、ものすごいスピードの中で、自分自身も瞬間的に変わりながら進行していっている。言葉にできないその速さの中で、言葉になる、することを選ぶのなら、祈りのように、選びたいものだ。
今日もわたしの街には、川が流れている。川沿いにはラブホテルが2軒あって、どちらも、新しい建物の様相とは言いがたい。海には、工場の煙突があるのだろうかとそんな想像をしながら、今日も自転車を漕いでいる。
A はい、一応、
C へー、
A まぁ、、、
D 今日も疲れたなぁ、、、D、電車から離れた少し遠いところに、お麩を片手に持って、出てくる。
もう一度、ここまでの一連の会話を行う。
繰り返し終わって、
A 、、変な電車、D、笑って去る。
B、C、椅子に座る。
B なに、
A んんん、なんもない。
③
風邪の窓ちょいあかるさの紹興酒
④
お腹の中にゼリーがたまる四時頃でなんもできない甘かった桃
⑤
アッバス・キアロスタミの『トスカーナの贋作』を観た。近所のTSUTAYAで借りてきたやつ。1月半ばに『つかの間の道』という演劇作品を上演したのだけれど、この映画のことを思い出したという指摘がアフタートークの中であった。
その数日後に、駒場アゴラ劇場で上演していたロロ『四角い2つのさみしい窓』を観た。脚本も、舞台美術も、ツアーとして行われる作品だということも、繋がりが見られて、なんだか、すばらしくて、感動した。フィクション、お話、童話的なラインをどう作るか、みたいなことを考えらされた。
どちらも「ふりをする」「本当になる」「にせもの」ということに関しての話だと自分の中では認識しているのだけれど、どうなんだろう。
●
物事には確かさのようなもの、なんてなくて、世界自体が流動的で、ものすごいスピードの中で、自分自身も瞬間的に変わりながら進行していっている。言葉にできないその速さの中で、言葉になる、することを選ぶのなら、祈りのように、選びたいものだ。
今日もわたしの街には、川が流れている。川沿いにはラブホテルが2軒あって、どちらも、新しい建物の様相とは言いがたい。海には、工場の煙突があるのだろうかとそんな想像をしながら、今日も自転車を漕いでいる。
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