俳句とジャズは対比されることが多いですが、今日7月17日は両界に二人ずつ―すなわち四人が同じ忌日という日です。
前者に川端茅舎(1897-1941)と水原秋櫻子(1892-1981)、後者にビリー・ホリデイ(Billie Holiday 1915-1959)とジョン・コルトレーン(John Coltrane 1926-1967)の四人です。
ジャック・モノーに拠らなくとも、偶然は必然であり、なにも面白がって取り上げるほどのことでもないかもしれません。余談ですが、この四人の生存が重なる期間(1926-1941)が、昭和の戦前期であることは興味深い事象だと思います。
さて、やや長い引用をします。
引き算し、変化に導くこと、切断し、変化に導くこと、それは唯一の同じ実践である。メジャーなあるいはスタンダードな言語に対して、マイナー言語を特徴づける貧困さや過剰が存在するのではない。スタンダードな言語のマイナーな処理や、メジャーな言語のマイナー生成変化としての簡潔さと変化があるのだ。問題はメジャー言語とマイナー言語の区別ではなく、生成変化である。問題は方言や地方語のうえに再領土化してしまうことではなく、メジャー言語を脱領土化することである。アメリカの黒人たちは英語に黒人語を対立させるのではなく、彼ら自身の言語である米語でブラック・イングリッシュを産み出すのだ。マイナー言語はそれ自体で存在するものではない。メジャー言語との関連でしか存在しないから、それはまたメジャー言語がマイナーになるように、メジャー言語を役立てることでもある。
( 『千のプラトー』ドゥルーズ=ガタリ・宇野邦一他訳・河出書房新社)
この特にはじめの一文に象徴されるようなことは、俳句のことを言っているようでもあり、またジャズのことを言っているようでもあります。後半部のメジャー言語とマイナー言語の対比は俳句における二物衝撃を言っているようでもあり、ジャズにおけるブルーノート形式を言っているようでもあります。しかし、この著書は哲学者のジル・ドゥルーズと精神分析学者のフェリックス・ガタリによる、いわば哲学書であることは面白い偶然ですね。
【引き算し、変化に導くこと、切断し、変化に導くこと】余分なものを切り落とし、切れを活用して、俳句もジャズ(音楽)も成り立つと言えるのでしょう。難しく考えるとどんどんわからなくなってきますが、音楽のなかでちょっとズラすと快適な旋律に聴こえたり、俳句のなかでちょっとした飛躍があったりすることが快適な句となりえたりしませんか。
茅舎と秋櫻子、コルトレーンとビリイの忌日の一致を必然と楽しみながら、忌日句でも作りましょう。
茅舎の忌丸太ななめに切られけり
植込の青ゴムボール喜雨亭忌
ジョン・コルトレーンの忌なり守宮鳴く
青鬼灯多くてビリイ・ホリデイ忌 力馬
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