2009年4月18日土曜日

●俳壇ひとり

〔中嶋憲武まつり・第7日〕
俳壇ひとり


俺の名はタナカヒロシ。俳句をちょっとやってます。自信作は「春雨の横切つてゆくマンホール」です。加藤楸邨に私淑し、最近はなんだか、こう人間探求力がますます上がってきた感じです。へへへ。

先日もある句会に出たら、あ、「テルミンと俳句の会」はちかごろ出てないです。なんかテルミンと俳句って合わないような気がするんですよね。で、よその句会に出たら、ある人に「キミは俳句の骨法というものを心得ているね」と言われました。骨法ですよ、骨法。よくわからないんですけど、なんだか道を極めるみたいで凄そうじゃないですか。何を言われてるのか、わからなかったけど、なんだか偉くなったような気がして、「ありがとう」と言っておきました。

ぼくはもう40越えてるおっさんなんですけど、こういう俳句をやってる人たちの集まりの中では若いほうなので、「若手」と呼ばれて、この呼び方ぼくは、気持ち悪いんですけど、もてはやされるんですよ。「若手」と呼ばれるたびに、ぼくは「若人あきら」を想像しちゃうんですよ。「若手」と「若人」が音が似てるからですかね。俳句の会って、そういうところです。とにかく若けりゃいい。俳句やってる婆さんなんて、ちょっと大学生が来るともう、びっくりしちゃって、バカんなっちゃって、座りしょんべん、て感じですよ。いやこれは言い過ぎたかな。

俳句をやる前は、句会っていうとみんな芭蕉みたいな宗匠頭巾を被って、いわゆる奥の細道を旅しているみたいな格好をして、机に座って瞑目している。そしておもむろに目を開けると矢立てから筆を取り出して、短冊にすらすらと一句を書き付ける。と、こんな場面を想像してましたが、平成の現代にそんなアナクロなことやってるわけないですよね。コピー用紙なんかを短冊にカットしたものへ鉛筆で句を書くんです。テルミンと俳句の会では、自作を書き付けてあるノートを手に、立って発表していたので、ここは大きく違うなと思いました。

ひとつ言えることは、俳句は垢抜けないということ。ぼくなんか、その点安心して安住していられますね。俳句が垢抜けしてしまってメジャーな存在になったとしたら、もう病気になっちゃうかも。貧乏なぼくには持って来いの遊びですよ。一部には俳句をもっとメジャーなものにという意見もあるようですが、何を考えているのかと言いたいですね。

ぼくは、ちっぽけなこの形のままで、それほど人に知られずにひっそりと片隅で生きて、ときどき人に思い出されるような、そんなものでいいと思うんですけど。芭蕉は不易流行と言いましたが、それって結構言い得ているんじゃないですかね。変らずに表立たずにずっとあるもの、折につれ変化するもの、結局同じこと。基本的なところからは、たぶん逃れられないですよ。

おっと、彼女が待ってるのでもう帰りますね。

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