もの、それ自体
compiled by saibara tenki
作曲家ロジャーレイノルズによる1977年のインタビューより。
ケージ:(…)私は今でも、ものがそれ自体であってほしいと思っています……。人がものをそのもの以外の何かとして感受するとき、ものは、そのもの自体でなくなるのです。例えば、もし私が車を借り、そのブレーキを踏んだとき、ブレーキが正常に働いていないことを示す音が聞こえたとします。そのとき、その音はもはや音ではない。その音はブレーキの指示物なのです。(…)音楽の世界の音について話すなら、インド哲学で言うアルタ(つまり「成功」「失敗」といった実利)の視点ではなく、モークシャ(つまり解脱)の視点で話すことになります。そして故障したブレーキから音が聞こえてきたとき、私達は直ちに、モークシャから出、アルタの内に戻る。審美的な生活を考えるより、まず命を救わなければ(…)なりませんから。
(「『沈黙』の思想、その後」ジョン・ケージ:『音楽の零度』近藤譲訳/朝日出版社1980所収)
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