2012年1月11日水曜日

●新年詠に見る《近恵》の変遷 近恵

新年詠に見る《近恵》の変遷

近 恵


週刊俳句に出した新年詠を年代順に、自虐的妄想で鑑賞しつつ、年を追うごとに作者がどのように変遷してゆくのかを読み解く。これは自句自解ではなく妄想を駆使した自句鑑賞であります。


獅子舞のビルの隙間に獅子を脱ぎ (2008年1月

俳句を始めて1年足らず。まだ初々しさが残る。街角スナップ俳句か。

作者はまだ初々しい目でいろんな事や物を観察しようとしている。メモ帳を片手に新年のネタを探して町をうろついている様子が伺われる。ビルの隙間の獅子を目 に留めたくらいだから、獲物を追う目はまだ確か。この後喫茶店に入り、珈琲でも飲みながらこの句を記憶が新鮮なうちに仕立てたりしたのでありましょう。


初富士や丈の短き体操着 (2009年1月

あれから1年、なにか少し怠惰な生活になってきた様子が伺われる。

元日の朝に家のベランダかどこかからみえた初富士を拝んだ、そのときの部屋着か寝巻き代わりかのジャージの袖が丈が短かったのである。ジャージの丈が詰まる とは、どれほど洗濯を繰り返したジャージだというのか。あるいはジャージのズボンの裾かも知れない。臙脂色で脇に二本線が入っていて、足の裏に引っ掛ける ゴムが付いていたりして、そんでそれがつんつるてんで脛が少し見えている。正月だというのになんとも寒々しい光景。そんな格好で新年を寿ぎ、日本人の心で もある初富士という目出度さをぶつけたことで、なんともおめでたい作者の姿が見えてきます。


簡単に済ませし御慶御神酒樽 (2010年1月

あれから更に1年。御神酒に並々ならぬ関心を寄せ始める。

御神酒樽ということは神社。初詣に行ったら知人にでも会ったのであろう。お参りも既に済んでいて、さて次は御神酒をいただきに向かおうかとしたところ、ばっ たりと出くわす知人。こちとら心はもう御神酒に向かっているというのになんというタイミングの悪さ。簡単に御慶を済ませて、じゃあまたねと御神酒をいただ きに向かいたいというのに、知人はどうでもいいような共通の知人の噂話を始めたりして。視界の隅にはちらちらと御神酒樽。もういっそのこと「よいお年を」 などと新年だというのに年の暮れまで会わなくてもいいです的な勢いで挨拶を切り上げてしまいたい。。。知人の噂話よりも御神酒をいただく方が大切なので す。


光るもの転がつてゐる御慶かな (2011年1月

更に経つこと1年。元日の日の光がまぶしいの的正月休み。

元日に起きだしたらもうお昼近く。ちょっと頭が痛い。初日の出を見つつ初詣に出かけ、御神酒をいただいた後に神社の屋台で引っ掛けた日本酒がまだ残っている のか。それとも年末にひいた風邪のせいか。年賀状が来てはいないかと集合ポストまで降りて行くと、隣近所の人がお参りを済ませたのか破魔矢なんぞを持っ て。あけましておめでとうございます、と軽く会釈をするとなにやら目に痛い光。そんでもってクラクラ。2時間くらい寝てもお酒は抜けません。さっきのなに やら光るものが転がっていると思ったのは、500円玉ではなく、タイヤでつぶれた瓶ビールの王冠。


初御空へと酒臭き息を吐く (2012年1月

5年もたつと初々しさのかけらもなく。

そろそろ二年参りの人達も引いたんじゃないかという頃合を見計らって暗いうちに初詣に。ピークの第一波が過ぎ、屋台の兄さんたちにもどっぷりとした疲れが見 えている。がたつく椅子に座り、樽酒、熱燗、それからウーロンハイなどを呑み始める。兄さん達と話が弾み、サービスだよと焼酎をたくさん入れてくれた。 こっちもご祝儀代わりにお釣は珈琲でものんどくれと500円のところ千円札を渡したりして。熨斗烏賊のおまけでもらった烏賊の足を出し、ちょいとストーブ で炙り、兄さんにもおすそ分け。もちろんおでんや煮込みも頼んでいる。調子よくやっていたら東の空が明るくなってきて、鎮守の杜の隙間から初日の光が。今 年1年いい年でありますように、などと酔った頭で思いつつ帰路に着く。ふらふらと歩いていると、風が気持ちいい。思わず空を見上げて深呼吸。。。ああ、自 分ではよくわかりませんが、まちがいなく今吐いた息は酒臭いです。。。


この調子だと来年の新年詠では、酔っ払って31日のうちに御慶を言い出すとか、大きな龍が神社からやってきて一斗樽を置いていってくれたなどと幻覚めいたことを言い始めるとか、そんな心配をせずにはいられません。

0 件のコメント: