2008年12月29日月曜日

●野口裕 驢馬餓死譚(下)

驢馬餓死譚(下)

野口 裕

たとえば、真っ直ぐの棒を堅い床に垂直に立てて、真上から強い力で押すと、棒は最後にぐしゃっと曲がる。押す力の方向や床に立てた針金の垂直度を、どんなに完璧に設定しても、棒がぐしゃっと曲がるときに、押す前にあった左右対称性は崩れてしまう。

物理法則が対称であっても、実際に起こる現象は対称性を破ることがある。これを「自発的対称性の破れ」という。南部洋一郎は、低温の世界での超伝導現象で、「自発的対称性の破れ」が実際に起こっていることを洞察した上で、「自発的対称性の破れ」を素粒子の世界に適用することを考え出した。

素粒子に関する物理法則は対称性(ゲージ対称性という)を有している。対称性のあるのは結構なことなのだが、そのままでは素粒子の質量はゼロになってしまう(註)。ここに、南部の考え出した「自発的対称性の破れ」を利用して、素粒子を現実にあるようなゼロではない質量を持たせることができる。この考察は、物質になぜ質量があるのかを、科学的に追いつめた到達点といえる。

「自発的対称性の破れ」の例は、いろいろとある。棒を真上から押す話は、昔々とある講演会で南部洋一郎自身が語った例である。そのとき、他の例としては、液体が固体に変わるときの結晶化現象なども話していた。しかし、一番わかりやすいものとしては、円卓上のナプキンのことを、彼は持ち出した。

円卓上に、ナプキンがぐるりと置かれている。円卓に丸く並んで座った人から見ると、右にも左にもナプキンが置かれている。最初に誰か一人が右側のナプキンを取れば、他の人達も右側のナプキンを取らざるを得ない。逆に最初の一人が左側を取れば、全員が左側のナプキンを取ることになる。初め円対称だった人とナプキンの配置が、ナプキンを取ることによって崩れてしまう。大体、このようなことを南部洋一郎は話した。

ところで、この円卓の話を、登場人物を一人にして人間から驢馬に変え、左右のナプキンをたっぷりの餌とたっぷりの水に変えるとブリダンの驢馬の話になる。ブリダンの驢馬は、どちらにするか思い悩んで餓死するが、花田清輝が喝破したように、実際はすぐにどちらかを選んで大いに食らいかつ大いに飲むはずだ。もちろん、どちらかを選んだ時点で「自発的対称性の破れ」が起きている。

ブリダンの驢馬について、言い出したのはスピノザであり、反論したのはライプニッツらしいので、「自発的対称性の破れ」を最初に議論したのはこの二人となるだろう。たぶん、論争した二人とも質量の起源がそこに求められるとは思っていなかっただろう。当時は、質量自体がよく分からなかったのだ。なにしろ、スピノザやライプニッツの同世代であるニュートンでさえ、「質量は、体積と密度の積である」という分かったような分からないような定義をしていた時代だから。



(註)ゲージ対称性はもともと電磁気現象で確認された。電磁気現象の元になっている素粒子は光子(光)である。光子の質量はゼロである(相対性理論から、質量がゼロでないと光速にならない)。 このことから、ゲージ対称性のある現象では、元になる素粒子は質量がゼロになると予想される。実際、ゲージ対称性があるような数式に、質量を含んだ項を入れるとゲージ対称性はこわれてしまう。

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