2009年4月19日日曜日

●山口優夢 中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む

〔中嶋憲武まつり・第8日〕
中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む その1

彼の息は途切れることなく


山口優夢

しつしつとボクサーの息春の雪
   憲武

「しつしつと」という擬態語が目を引く。リズミカルではあるが、騒々しくはない、むしろ、静謐さをたたえたような音。句から受ける印象がリズミカルだと思うのは、その上五だけの印象ではなく、「息」の「き」と「雪」の「き」が揃うことで歯切れ良いリズムを作り出しているからでもあるだろう。

この句には「ボクサー」という主人公がいるものの、彼(まあ、たぶん、男ではあるだろう)が何をしているのかは特定することができない。春の雪に包まれてしまって、彼がどんな場面にいるのか、ということまで分からないのだ。そこで勝手に想像力を働かせるのが、読者の楽しみである。

たとえば、ロードワーク中の「ボクサー」の姿を思い浮かべる。川べりかどこかを、時折シャドーボクシングなどしながらすべるように走ってゆく。レインコートみたいなものを頭からすっぽりかぶっている。時刻は早朝か、夜がいい。丹下段平氏によれば、ロードワークはアスファルトのような硬い地面だと膝を痛めやすいそうだから、土手の柔らかい土の上を走っていると思いたい。そこに、春の雪がうすく舞い始めている。いつから降っているのだろう。彼は無心で拳を突き出す。「しつしつ」とした自分の息の音だけで、耳がいっぱいになっている。

たとえば、試合が始まる前、準備運動をして息を弾ませている「ボクサー」を思い浮かべる。暗い控え室で手首や足首を入念に回し、体のばねを目いっぱいに伸び縮みさせ、セコンドを相手にパンチの練習をしておく。ジャブ、ジャブ、ストレート。そこでまたジャブ。まあ、このくらいにしておこうか。リングの方が騒がしい。どうやら、前の試合で、矢吹丈の必殺クロスカウンターが決まったようだ。その熱狂の渦の中へ自分もこれから飛び込んでゆくのだと思うと、身の引き締まる思いがする。ぎいぎい言う窓を開けると冷たい空気が流れ込む。外は雪なのだった。緊張した自分の「しつしつ」とした息の音で、耳がいっぱいになっている。

たとえば、試合中の「ボクサー」を思い浮かべる。まばらにしか埋まっていない客席からは、時々耳をつんざくようなヤジが聞こえてくるが、彼の耳は「しつしつ」とした自分の息の音でいっぱいになっている。胸の奥には、控室の窓から見えた春の雪が降っている。彼は、痛めつけられた肉体の内側にそんな静寂な世界をたたえたままで、リングの中を駆け巡っていた。ここまで、目の前の相手の方が自分よりも手数をたくさん出している。ポイントではおそらく彼の方が上回っているだろう。この最終ラウンドでKOしなければ自分の勝ちはない。痛む左腕を引きずるようにして、彼は世界チャンピオン、ホセ・メンドーサに向かってゆく矢吹丈のごとく、対戦相手へと風を巻いて向かってゆくのだった。

たとえば、マットに沈められた「ボクサー」を思い浮かべる。10カウントの間に立ち上がることができず、敗れてしまったボクサー。彼はリングの上に寝転がりながら、「燃えたよ、真っ白な灰に…燃え尽きた」と呻いているが、声が小さすぎて誰にも聞きとめられることはない。どこからか冷気が入り込んでくるらしく、寝転がっているとひんやりした空気が身を包みこむ。そうか、外は雪だものな…。そこまでで彼の意識は途切れた。その直前に聞いていたものは、やはり「しつしつ」という自分の息の音だったのだろうか。

「ボクサー」が「ボクサー」であり続ける限り、リズミカルに繰り返される「しつしつ」という息の音はずっと付いて回るのであろう。一句においてボクサーが何をしているか特定されていないということは、つまり、逆にいえば、いつだって彼の息は途切れることなく「しつしつと」吐き出されているということを示しているのだ。ふと訪れた春の雪のような静寂の中では、彼の息の音は彼の鼓動のように耳を圧する。それは生きている証であり、闘い続けていることの証明なのだ。

河原ですれ違った「ボクサー」を見送りながら、ナカジマさんはとぼとぼ歩く。「しつしつ、しつしつ」と口ずさみ、そして、彼もまた「ボクサー」同様に春の雪に包まれてゆくのだった。

1 件のコメント:

憲武 さんのコメント...

山口優夢さん、こんばんは。楽しませていただきました。これだけ想像力がゆたかだと小説が書けるんじゃないですか?この風景をどこで見たかは言わずにおきます。自句自解ほど野暮なものはありませんので。